自分自身が“ケアのツール”になる
アロマセラピストとしての私のスタイルを作ったのは、活動を始めたばかりのころお世話になった病院での経験でした。アロマテラピーを学んだスクールでは、疾患を持つ方へのトリートメントは極力避ける方針でしたが、その病院では「治療が難しい人こそ本当にケアを必要としている人」という考え方で、ケアを求めるすべての人にトリートメントの機会を提供していたのです。
そこで学んだのは、自分自身が“ケアのツール”になることでした。カルテや精油の知識だけに頼らず、目、耳、手ー全身の感覚を研ぎ澄ませて患者さんと向き合い、自分ができることをただただ差し出す姿勢。そのためには、まず自分を整える必要があります。自分自身を「無」の状態にして“ツール”に徹することで、目の前の相手を受け入れることができるのだと知ったのです。
患者さんから「患部をトリートメントしてほしい」と言われたとき、最初は戸惑いました。そうした心の揺れが手から相手の心へと伝わり、傷つけてしまったこともあったかもしれません。自分の気持ちが整わないときは「できません」と言う勇気も必要なことが、次第に分かるように。自分の行動に迷いがなくなり、どんな場面でも患者さんをしっかりとホールド(受け止める)できるようになったとき、初めて「アロマセラピストになれた」と感じました。
訪問ケアにこだわる理由
受け手が「なぜケアを必要としているのか」を知るうえで、自宅へ伺う訪問ケアは大きな意味があると思っています。家を空けられなかったり、身体が不自由だったり、事情はそれぞれですが、暮らし方や家族構成を知ることはホリスティックに相手を見る(看る)うえでとても役立ちます。そこにあるのは、ヒーリング音楽が流れるおしゃれなサロン空間ではなく、子どもの泣き声や隣の家の夕飯のにおいが感じられる日常。そうした中でいかに“安全基地”をつくるか、それがセルフケアの基本であり、私にとってのアロマテラピーのゴールなのです。極端かもしれませんが、精油に限らず“リラックスできる香り”を生活の中で感じられれば、きっとその香りがその人の生きるちからを支えているのだと信じています。
ホテルやサロンなど、非日常の空間でアロマテラピーを受けたいというニーズも確かにありますが、私が目指すケアのかたちは、日々のセルフケアへつながっていくこと。そんな考えから、病院や自宅にこちらから出向いていく「訪問ケア」というかたちをとっています。
コロナ禍での気づきと、
植物に学ぶこと
コロナ禍の訪問ケアでは、さまざまな気づきがありました。感染拡大直後は私も行動を控えていたのですが、「ケアが必要な方がいらっしゃるから来て欲しい」と病院から連絡をもらって。病院側の私を受け入れるリスクは計り知れなかったと思いますが、そんな状況でも「本当にケアを必要としている人」を考慮される院長や看護士さんの気概には、大きく心を動かされました。面会や院内の移動でさえ制限された患者さんたちは、私の訪問を心からよろこんでくださって。あのときほどタッチングのちからを実感したことはありません。マスク越しかつ顔から離れた部位へのトリートメントになるので、香りを感じていただくことは難しかったでしょう。それでも、ふれることでこんなにも相手の表情が変わるんだということに改めて気づかされました。
昔、アロマテラピーを教わった恩師から「植物は脳がないのに、花を咲かせたり、栄養を蓄えたり、本当にいろいろなことをするよね」という話を聞いたとき、すごく腑に落ちたんです。頭で考えなくても、必要なものとそうでないものをちゃんと分かっていて、いつでも心地よい状態で生きようとする草花たち。自分自身が「整っていないな」と感じたときは、植物のシンプルな生き方を思い出すようにしています。